2004年01月23日

結婚について其の3。好きと重さとバランスと

 
結婚について其の1からはじまるSkywardさんのBlogとの結婚についての議論の延長。男は守りに入るのか?

男子よ!なぜこうも「(社会に)縛られ」て「抜け出せない」ことや「守りに入る」ことにこだわる!?
別に結婚したからって守りに入る必要ないし(女子が男子を守ってあげるし)、抜け出さなくちゃならないわけでもない(そもそもそんなに抜け出したいのか!?)と、一女子としては思ってしまうのだけども。

 本気で相手のことを好きであればあるほど、不幸にはしたくない。これが一番大きい。結婚することは、自分が制限されるだけじゃなく、相手をも制限すること。というか、男は女の、女は男の将来を、ある程度預かる行為だと思う。そして何度も書いているけれども、子供ができると後に引き返すことはできない。

 不幸にはしたくない、ということはどういうことか?と考えてみると、おそらくそれは金銭的に最低限不自由はさせたくない、ということのような気がする。結婚という形を取らなければ、自分がひどく失敗したとき、相手は離れていって夫としてふさわしい人を見つけることができる。逆に言えば、自分はひどく失敗するリスクのある冒険にも挑戦できるようになる。自分ひとりに責任を負って自分ひとり食べていければいい、ということと、妻や子供に対して(それはつまり妻の両親や家族に対してもある程度は)責任を持つということは、途方もなく違う。

相方は結婚前にサラリーマン辞めて、今は自分の好きな仕事をやっている。もちろん収入も老後も保障されていないけど、彼は自分のやりたいことを自分で努力して積み上げて掴んできた人だし、好きな仕事をしている姿を見る方が私も楽しいかもな、というわけで「いいんじゃない?」と。男が守りに入らなくても、女が十分見守ってあげるってこともできる。

 これは凄く理想的なひとつの結婚の形だと思う。でもおそらくSkywardさんの彼がサラリーマンをやめたとき(そして結婚を決意したとき)、彼にはなにかしらの自信があったんじゃないか、と思う。それは、相手を金銭的に不幸な状態に陥れないぞ、という漠然としてるかもしれないけれどどこかたしかな自信みたいなもの。

現在の少なくとも私の周りにいるような男のひとは、守りに入るというか責任感じるというか、結婚をそうとらえていると思います。(逆に、責任感があって良いとも言えますね。)
で、ともさんの言う通り、メリットデメリット、なんですよ。そっちしか見ないの。メリットが大きくなると、結婚しようと思う。でもデメリットだと駄目。

 まさにこんな感じなんですよ。メリット(相手とともに社会的責任を引き受けて生きていくぞ、でも相手とともに社会的に認められた関係で死ぬまでいられるんだ)と、デメリット(大きな責任。相手を不幸にできない=自分のしていいことも限られてくる)の、バランス。で、そこにはおそらく「経済的にうまくやっていけるか」という見通しが大きく関係してくる。今順風満帆じゃななくても、今後これならいけるぞ、という手ごたえが。これが自分が「35歳に結婚するだろう」という仮説を出した理由です。自分の場合、手ごたえを感じるのが35くらいだろうなぁ、という漠然とした予感があるから。

イコールです(断言)。結婚こそが幸せではないし全てでもないと思っているけど、少なくとも私にとっては、本気で好き=結婚したいという気持ち、だった。
本当に好きだったら、責任だの義務だの不自由だのっていうことは、何てことないって気になってくると思う。何となくだけど。
でも双方が責任を持つだの何だの言っても、やっぱり一般的に男の方が責任重大(極端な話、女が男を養うより男が女を養う方がずっと数的に多いし)だから、女子みたいに簡単には踏み切れないかもしれないな。

 Skywardさんのこの意見はたしかに納得できるし、きっとそうなんだろうなぁと思う。でも先に述べたような理由で、自分の場合は(男は、と敷衍して言っていいのかどうかわからないけれど)、ちょっと待てよ、と思ってしまう。好き=結婚が主流になったのは最近のことで、結婚は長い間別の意味を担ってきたという面もある。好きな恋人と、実際に結婚した夫は別、という歴史は世界中いろんなところに数知れずある。

結婚観の価値観の変移が最も目立つ時代は1946〜48年だ。この頃は戦争や災害で配偶者を失ったり、戦争末期に結婚できなかった人たちが争って相手を求めたため、爆発的な『結婚ブーム』が出現した。価値体系は「親孝行」「家長権」「姑に仕える妻」という制度から「結婚の幸福」「夫婦の平等」が重視されるようになった。
またその他の変化として女性が、未婚の時が多いとはいえ、職場へ勤める事が普通になり、経済手段を知ると共に異性と公然と交際する道が開けた。これは、男女共学の開始と共に、配偶者選択の大きな転換を告げるきっかけとなった

なんて報告もありますが、結婚とは少なくとも、男と女の関係に、双方の家族、およびその家族が担っている社会的なものが入り込んでくる過程でもあるわけです。そういう場合が多い。だからこそ、純粋に好きという気持ちが、=結婚とはいかない場合もあると思うんです(これはもちろん人によるけれども)。

 でも実際に「一生結婚するつもりはない」と答える人は全体の4%しかいないそうで、かくいう自分も結婚願望があります。つまり、社会的に認められた形で二人死ぬまでいたいって気持ちは多くの人が持っている(昔の駆け落ちの独特の悲劇性とスイートさはおそらくこの気持ちの裏返しなのかな?)

私たちの場合は少なくとも、移ろいやすい恋をブロックするためのシステムとして、つまり「別れないために」、結婚したわけではない。一緒にいないのが不自然だ。この人とならお互いに義務も責任も苦なく果たせる。という確信があったからに他ならない(結局ノロケかよ!)。
2人が一緒にいるために結婚という制度を利用した、という感じ。特に私はずっと親と住んでいたので、籍を作って名実ともに親から独立するというのもあったな。
確かに、無意識のところで結婚しているということが何らかのブロックになるのかも、ということは理解できるけど、それは結果的なものだと思う。

 たしかに、「結婚は移ろいやすい恋をブロックするシステム(Gen)」という考えは、結婚を外側から見た視点(結果的なもの)かもしれない。Skywardさんは全くそんなこと考えなかっただろうし、実際にそんなことを考えて結婚する人は多くないと思う。ただ、少なくとも自分の場合は、「結婚=恋愛よりは二人の関係を大きく長く安定して続かせるシステム」というイメージがあるし、現実的に、結婚それ自体が(気持ちを離れて)ブロックしている夫婦の関係なんて腐るほどあるわけで。「子はかすがい」なんてことわざがあるけれど、誰もがそんな状態に陥る可能性を持っていて、だからこそ結婚は自分にとって重いのかなぁ、と。そして、純粋に好きという気持ちが結婚に直結する場合だけじゃなくて、好きという気持ちに、その時の自分の(経済的な見通しを含めた)状態なんかが加わって、結婚にいたる場合も多々あるんじゃないかと(だからこそ、ともさんの”いいかげんな気持ち”という言葉には反発しました)。それゆえに、結婚は「ふと訪れる」場合なんかも多いわけで。でも、それでも、好きで結婚した二人が、結婚というシステムに助けられながらも、生涯一緒にいられるということは、素敵なことだと思う。


そうそう。Genさんは「いろんなこと・ものを捨てなくちゃならない」と言う。実際お互い捨てたものも諦めたものも多少あるかもしれないけれど、それよりも2人で得るものや築くもののほうが多いってことも十分あり得る、と思う。


 これは100%納得。二人が社会的に認められて自由になるし、子供はなんといっても、死んだ後も二人の形をこの世の中に残すこと。これほど素敵なこともない。

 Skywardさんの実際に結婚しているという現実の前じゃ、自分の発言はあまりにリアリティがないわけで、いろいろと勉強になりました。ほんとに感謝です。
 
posted by Gen at 14:22| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 恋愛系のネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月22日

結婚について其の2。自由vs制限?それとも‥


 実はskywardさんのblogで、昨日書いた結婚について其の1が取り上げられて、コメントやトラックバック含めて色々な反応がありました。いろいろと誤解された面もあったようです。そこで、それへの返答の意味も込めて、結婚について其の2を予定より早く書きます。これもあくまで一大学生の意見です。ちなみに自分は結婚したいと凄く思う人間です。ただし、35歳くらいに。

 まず3人の意見をそれぞれ要約すると、
私は結果的に結婚に結びついた相方との恋愛しか知らないから何とも言えずもどかしいのだけど、多分、高校生や大学生で恋愛をちゃんとしている子たちにとっては、恋愛はいずれ別れにつながるものというほうが身近なのかもしれない(中略)ところがだよ、別れの“わ”の字さえ1ミリも考えなかった私にしてみたら、結婚こそ自由を与えてくれる制度!と言ってのけちゃうくらいのものなのデス(skywardさん


親や親戚、社会にも認めてもらいたい相手であれば、自然と"結婚"という考えになるんじゃないかなぁ。
「自分の親と同じぐらい相手の親も大切にしたい」とか、「相手が病気のときは会社に「夫が病気なので」と堂々と言って看病したい」だとか、そういうこと思える相手となら自然と結婚したいって思うのではないでしょうか(ともさん)


そんなにみんな大変な思いをするのに何で結婚しろとか言うのは、
やはり社会的に認められた「つがい」だからでしょうか。
家やマンションを買うにしても、子供を作って育てていくにしても
お墨付きを頂いて、社会では当たり前とされる形を取っていれば
「それがフツー」と見なされていろんなことがスムーズに物事が運ぶから、結婚なのですよね(annexさん



 結婚は「檻」だという表現は、たしかに挑発を狙いすぎていたかもしれません。考えると「家」という比喩が適当な気がします。結婚することは、「社会」の中に「家」を建てること。実は結婚について其の2で書くつもりだったんですが、結婚することは、純粋に不自由になることじゃない。もちろん、社会に認められて、二人がスムーズに社会の中で生きていけるという意味で、自由になることでもある。つまり、「社会」の中に、自分たちの居場所を確保する(=家を建てる)。でも、家を建てるのにはお金がいる、維持するのにかなり労力を使う、そして一度建てると簡単には抜け出せないしリスクも負う。社会に認められるという自由と引き換えに、制限を受ける(不自由になる)ことでもある。そして子供が生まれると、あとに引き返せない。
 
 ここであえて現実を離れて概念的な話をさせてください。結婚について其の1で、純粋に自由な二人の関係に徐々に社会が侵入していって、結婚はそのマックスであるということを書きました。でも実は、純粋に自由なとき、人間は不自由になる。たとえば、「死ぬまでなにもしなくていいよ」と言われれば、とても自由だけど、でも何をすべきかわからなくて困ってしまう。あれこれやるべきことがあるから、ちょっとしたことに「自由」を感じることができる。つまり、自由とは、制限されている(=不自由な)中でしか見つからないものでもあるわけです。

 とすれば、結婚して「不自由」になることは、実はそんなに不自由なことじゃないのかもしれない。二人は「不自由」だからこそ、むしろ一緒に自由を探していけるのかもしれない。子育てを離れた二人っきりの束の間の旅行が、とびきり輝くのかもしれない。

 ちなみに自分はまだ結婚したくないです。現実的に、家族を養わなきゃ、という責任はめっちゃ重い。自分の夢(やりたいこと)があるけれど、もし養うべき家族がいたら、間違いなく家族のことも考えながら、自分の行く末を決めなきゃならない。何かに挑戦するとき、賭けに出るってか、ある種「どうせなるようにしかならない。そして出た結果に対して、その責任を自分で引き受ければいいんだ!」という自信と勇気みたいなものが、無くなってしまう。結婚するには、自分をひとつの型にはめるという、ある種の覚悟がいる。よし、それを引き受けた上で、俺は生きていくぞ、という。

 「私は結果的に結婚に結びついた相方との恋愛しか知らないから何とも言えずもどかしいのだけど、多分、高校生や大学生で恋愛をちゃんとしている子たちにとっては、恋愛はいずれ別れにつながるものというほうが身近なのかもしれない」(skywardさん)という指摘はけっこう鋭いと思います。実際に、別れない・飽きない・飽きられないという自信があれば、結婚はもっと身近なものになるのかもしれない。でも、多くの恋愛がそれを物語っているように、恋は悲しいくらいに移ろいやすいものでもあるわけです。むしろ、結婚とは、移ろいやすい心をがっしりブロックするためのシステムであるとも思う(比喩としての「家」)。さきほど書いた、「ある種の覚悟」みたいなものを、形にあらわして、その形のなかで二人が暮らすというか。

 結婚はふいに訪れる、とかよく聞くけれど、それはその「ある種の覚悟」がふと生まれることなんだと思う。ただ単に相手のことを好きだから、だけじゃなくて、「ああこの人ならいけるな」とかそんな感じで。

 「"とりあえず"で付き合った人と結婚を考えると[檻]とか[墓場]っていう言葉が出てきて当然なんでしょうね」というともさんのコメントは100%否定します。それは違う。いろいろ付き合ってきて、死ぬまで一緒にいたいと思えるような人もいた。でも、だからといって、本気で好きという気持ちが、結婚したいという気持ちに直結するわけじゃない。ずっと一緒に死ぬまで寄り添いたいという気持ちと、夫婦になりたいという気持ちは、ほんとにイコール?社会に二人が認められるということが、それほど大事なことなんですか?むしろ、そういう価値観を崩したようなスタイルの年配の方も、結構知ってます。

 個人的には、annexさんの「私自身はそういう形を取る勇気がどうしても出ないです。怖がってちゃいけないんだろうけど、今の自分には結婚がどうしても幸せなものとは思えないんです」という心情にとても近い気がします。

 まとめ。結婚すると、社会に二人が認められる。いろんなことがスムーズにいくようになる。自由になる。でも社会に縛られるという意味では、不自由になる。いろんなこと・ものを捨てなくちゃならない。だからこそ、男はなかなか結婚の覚悟を決められない。いや、むしろ、結婚して社会に縛られるからこそ、二人は簡単には別れなくなる(別れられなくなる、というよりもむしろ)。そんな複雑でシンプルなものが、結婚なんじゃないでしょうか。そして、結局は何を重視するかの問題で。少なくとも、学生より社会人のほうが「覚悟」を決めやすい、というのは事実のようです。 #長文ごめんなさい。
 
posted by Gen at 13:15| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 恋愛系のネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月21日

結婚について、其の1。(恋愛への社会の混入?)


 結婚とは何か?恋愛とはどう違うのか?あくまで一大学生から見た結婚について。結婚観のスケッチ。

 結婚と、恋愛。それほど違わない、と個人的には思う。二人がともに、寄り添おうとする試み。けれど、結婚となるととたんに話がでかくなる気がする。ある種の重さを抱え込む。では、その「重さ」の正体とはいったい何か?それはおそらく、「社会」というもの。まず、国に届出をするということ(社会=国家の制度に巻き込まれる)。そして、自分の家族、相手の家族を激しく巻き込むということ。儀式としての、結婚式。金もかかる。

 「社会」とはなにか?それはおそらく、自分がその中にいるけれど、自分じゃコントロールできないもの。国だってそう、家族だってそう。そして「バツイチ」という「社会」的評判が、いったい自分にどういう影響を及ぼすのか、想像もつかないしコントロールもできない。

 恋愛ははじめ、あらゆる意味において自由だ。出会って、2回遊んで、「つきあおっか?」「うん」となったその時、二人はほんとに自由だ。そこには純粋なる関係がある。でも、徐々にいろんな「社会」が混入をはじめる。二人の純粋なる関係は、だんだん「社会」に縛られてゆく。

 しばらくすると、二人の恋人関係が、友人に知れ渡る。あるいは、クラスやサークルや会社に広まる。その分、自由は減る。友人たちの視線、クラスやサークルや会社での評判や噂話。お互い、「恋人同士ならしていい行動」と「しちゃいけない行動」という、暗黙のルールを柔らかく強制される。「付き合ってるならこうあるべき」という社会的な価値観を、押し付けられる。周りの目を、少しは気にしてしまう。もちろん自分たちがその価値観に従うかどうかは、また別の問題だけれども。

 次に「親に紹介する」という段階が現れる。相手の両親というものは、すごく「社会的」。自分じゃコントロールできそうにない。得体が知れない。だから、はじめて相手の家に行くときは、かなり焦る。てんぱる。そして相手の親に顔が知れちゃうと、相手に対して自由に振舞いにくくなる。終電の時間をやたら気にしたり。とにかく、もっと「いい人」になることを、暗黙のうちに期待される。

 そして、結婚。結婚式とは、二人の関係にあらゆる「社会」を呼び込む儀式だ。自分と相手の友人や親族や上司や知人。ありとあらゆる、二人がそれぞれ持っている「社会」的関係のある人間が、集められる。二人が持っている社会的関係を、最大限に呼び集める。そして二人の関係に、ありとあらゆる「社会」的なものが混入してくる。

姫

 「社会」をたくさん抱え込んでしまったぶん、結婚は非常に重い。少し冷めても、なかなかすぐ別れることはできない。(冷静に考えて、セックスレスになるくらいならとっとと別れろよ!とか思わないか?)。そしてしばらくすると、「子供」が生まれる。

 子供が生まれる。これはとても大きい。実は、二人が国にする重要な届出は、2つしかない。結婚届と、出生届だ。子供は「社会という檻(おり)」だ。一度生まれてしまったら、逆戻りは絶対にできない、という意味で、檻なのだ。結婚は離婚すれば解消できる。大きな痛手を負いながらも、結婚だけならば、一応逆戻りはできる。でも子供は殺すわけにいかない。子供は生まれた時から「社会」的で、まず国という社会的制度に出生届を提出しなければならない。また、子供を捨てると法律的にも罰せられる。学校へ行かせる義務がある。食事と寝所を与える義務がある。見事に、二人は「社会」の檻に閉じ込められたのだ。イメージとしては、結婚は、「社会」という縄で自分たちをぎゅうぎゅうに縛る感じだ。ほどく(=離婚すること)はできるが、ほどくと縛られていた跡が残る。生々しい、赤い跡がのこる。でも、子供は、自分たちと「社会」を溶接してつなぐ感じだ。切り離せば、ぼろぼろにぎざぎざに崩れ去ってしまう。

 このように、そこまでして、二人は自分たちを「社会」でがんじがらめにするのだ。檻の中に自ら飛び込むことによって、「安定」や「安心」を得ようとするのだ。簡単には別れられない、それゆえに長く続くであろう、二人の関係。でも、なぜ結婚に憧れる人が多いの?ただ「安定」が欲しいから?どうして?それだけなのか?
 
 #長くなってしまったので今回はここまでにします。次は、「結婚を考えながら恋愛をする人とそうではない人の違い」「結婚は恋愛の延長?」「歴史的にみると、結婚と恋愛はどうなる?」「動物だって結婚もどきをする。進化的に見ると、人間の結婚とはなにか?」というテーマも加えて書きます。長文ごめんなさい。よければまた読んでやってください。
 
posted by Gen at 18:33| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(2) | 恋愛系のネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月14日

駆け引き無き恋は甘やかし。

 
 駆け引きのない恋をしたい、なんて声をたまに聞くけど、恋愛は駆け引きだ。断言する。というか、駆け引きを否定するやつは、本気で恋をする気があるのかと問いたい。本気で人と関わろうとする気があるのかと問いたい。くっつきすぎたら腐る、離れすぎたら消えてしまう。その両極の間、中庸の部分に踏みとどまろうとするあがきこそが、駆け引きだ。

 その関係を長続きさせたいなら、あれこれ考えて作為して優しくしたり冷たくしたり駆け引きした方がよっぽど正々堂々としている。近過ぎると見えなくなる、遠すぎるとわからなくなる。だから、相手と適切な距離を保とうとするその努力=駆け引き。一番相手に対してリスペクトを持った接し方じゃないだろうか。あれこれやって、その結果を、自分で被る。駆け引きに失敗して、恋が終わって、酒におぼれて、朦朧と考える。次は、もっとうまい駆け引きが、できることを祈りつつ。

 それでも結局なるよーにしかならんという真実は肺の裏側にしまって。

#なんていま恋が消えたみたいな書き方。関係なく。最近レポートに行き詰るとやたらとページデザインを弄る癖が。でもCSSの知識の限界でイメージ通りにいかない。妥協。そう、結婚について書いてくれという某リクですが、も少し時間ください。なかなかまとまらない。そこで、こういう結婚の姿もあるよということで‥(半分ネタ)

旦那をメールでオーダーしよう!
俺、ヴァンパイアになるから、と夫がカルトに入信(写真にかなりわらた)


posted by Gen at 09:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛系のネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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